Singles of Pink Lady

Biography

1. ペッパー警部(1976年8月25日)
作詞の阿久悠の書籍『夢を食った男たち – 「スター誕生」と黄金の70年代』によると、阿久がこの曲名をつけた際の由来についてはドクターペッパーからの引用か、またはサージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドからか、『ピンク・パンサー』の登場人物クルーゾー警部からか、落語のくしゃみ講釈の落ちに登場する胡椒(故障)からペッパーを連想したのか、あるいは曽根史朗の往年のヒット曲「若いお巡りさん」からの連想なのかもしれないが、どれも(阿久悠自身による)後付けの解釈であり、本当のところは分からないとしている。ダンスで大胆に足を開く振り付けは当初は下品とマスコミ関係者に不評であった。B面の「乾杯お嬢さん」も人気で、こちらはキャンディーズを意識した楽曲でもあった。前述書『夢を食った男たち』によると、阿久は最初からA面を「ペッパー警部」、B面を「乾杯お嬢さん」にするつもりで作詞したが、当初ビクターは「乾杯お嬢さん」をA面で売り出そうとしたという。

2. S・O・S(1976年11月25日)
初のオリコン1位。イントロにSOSのモールス信号が入っており、電波法の遭難信号に関する条項との兼ね合いを懸念したラジオ局では一時期放送を自粛したところもあった。また、テレビ出演時は発売直後のみモールス信号からはじまるイントロを使用していたが、ただちにそれを抜いた演奏に切り替えられた。

3. カルメン’77(1977年3月10日)
この曲あたりから激しい振り付けが増えてゆき、さらなるインパクトがつけられた。

4. 渚のシンドバッド(1977年6月10日)
オリコン上における初のミリオン・セラーで、以後「モンスター」までオリコンでは5作連続でミリオン・セラーを記録。オリコンチャートにおいて計8週に渡り1位を獲得。

5. ウォンテッド(指名手配)(1977年9月5日)
オリコンチャートで「渚のシンドバッド」から連続して1位を獲得し続け、この曲だけで12週連続1位を獲得。簡単な振り付けが子供たちの間に広まり、振り付けの真似が流行るきっかけとなる。イエロー・マジック・オーケストラ (YMO) が結成初期のコンサートで演奏したこともある。

6. UFO(1977年12月5日)
オリコン枚数155万枚、出荷枚数195万枚。ピンク・レディー最大のヒット曲(オリコン枚数、出荷枚数共に)。「ウォンテッド(指名手配)」から中島みゆきの「わかれうた」(1週のみ)を挟んでオリコンチャートで10週連続1位を獲得。第20回日本レコード大賞受賞曲。

7. サウスポー(1978年3月25日)
当時まだ珍しかった「オリコン初登場1位」を達成。歌詞中には同時代のスターであった王貞治をイメージした打者が登場する(王貞治#歌を参照されたい)。また、高校野球の応援歌では、現在も山本リンダの「狙いうち」等と共に定番の曲である。
同曲にはお蔵入りになったバージョンが存在する。こちらは歌詞も曲調も異なり、王貞治をイメージした打者も登場しない。こちらはレコーディングまでされたものの日の目を見ることはなかった。なお、没バージョンの「サウスポー」は、1998年1月12日に日本テレビ系列で放送された『スーパーテレビ情報最前線 特別版 今夜公開! 山口百恵・ピンク・レディー伝説』でごく一部が流れた後、2008年になって阿久悠の作詞作品を集めたCD-BOX『続・人間万葉歌』に収録され、ようやく商品化された。
高倉健主演の映画『冬の華』内では挿入歌となり、倍賞美津子の演じるメリーさんこと娼婦との再会シーンでこの曲が流された。

8. モンスター(1978年6月25日)
出だしから「ワハハハ…」という不気味なモンスターの声(都倉俊一の声に音声加工)に、二人が「キャー!」と叫ぶイントロが話題になった。

9. 透明人間(1978年9月5日)
三角ブラとホットパンツを基調としたシースルーの衣装で歌った。B面は『飛べ!孫悟空』の主題歌「スーパーモンキー孫悟空」。

10. カメレオン・アーミー(1978年12月5日)
オリコンにおいて、初登場88位→翌週1位という珍記録を達成[28]。
『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』 第74話「恐怖のカメレオン人間」では挿入歌としてこの曲が使用されていた。
松田優作主演のアクション映画『俺達に墓はない』では挿入歌となり、主人公達のアジトであるバー亜邪馬の店内で、松田の演じる主人公「島勝男」が都築興業襲撃の最初の打ち合わせをしていた時にこの曲が流された。

11. ジパング(1979年3月9日)
デビュー曲以来続いた出荷枚数の連続100万枚突破記録、「S・O・S」以来続いたオリコン連続1位記録が途切れるが、総シングルレコードの売上合計枚数が1000万枚を突破した。これもオリコン史上初となる快挙であった。
「カメレオン・アーミー」と同じく、『俺達に墓はない』で、島が都築興業の襲撃に失敗して滝田と手を組み、店に帰ってきてミチが店を開いていた時に、この曲が流れていた。

12. ピンク・タイフーン (In The Navy)(1979年5月1日)
ヴィレッジ・ピープルの「In The Navy」をカヴァー。同じカヴァー曲の渋谷哲平「ヤング・セーラーマン (In The Navy)」と競作となる。

13. 波乗りパイレーツ(1979年7月5日)
B面の「USA吹込盤」は、ザ・ビーチ・ボーイズがコーラスに参加。

14. Kiss In The Dark(1979年9月5日)
全米デビューシングル。ビルボード誌の「HOT 100」で37位にランクインした。総合チャートにおいては坂本九に次ぐ記録。2011年までの時点で40位以内に入った最後の日本人歌手となる(ラジオ番組『American Top 40』の影響もあり、40位以内へのランクインがヒット曲の基準として重視される傾向にある)。

15. マンデー・モナリザ・クラブ(1979年9月9日)
阿久悠・都倉俊一のコンビが「そろそろ、子どものお客を無視した、ミーとケイ、ふたりのための曲を作ろう」と話し合った上で作りあげた。

16. DO YOUR BEST(1979年12月5日)
1980年のモスクワオリンピックに出場予定だった日本選手を応援するため、「がんばれ! ニッポン募金 Do your best!」というキャッチフレーズでピンク・レディーが選手強化募金を呼びかけた曲。その後政治的理由により、アメリカに続き日本もモスクワオリンピックをボイコットし、強化募金呼びかけは消滅。フジテレビ『夜のヒットスタジオ』では披露されていない。

17. 愛・GIRI GIRI(1980年3月5日)
発売当時、ピンク・レディーはアメリカで活動中だったため、テレビでは一度しか歌われなかった曲。

18. 世界英雄史(1980年5月21日)
日本帰国後のシングル。当時解散説が流れ、2人と事務所は当初完全否定していたが、それから約3か月後の9月1日に解散宣言を公表する。

19. うたかた(1980年9月21日)
アメリカで発売したアルバム『ピンク・レディー・イン・USA』収録曲「Strangers When We Kiss」の日本語バージョン。

20. リメンバー (フェーム)(1980年12月5日)
後に映画『フラッシュダンス』の主題歌を大ヒットさせるアイリーン・キャラが歌った、映画『フェーム』の主題歌を日本語でカバーしたもの。

21. Last Pretender(1981年1月21日)
発表当時からテレビで歌われたことが一度も無く、2005年5月27日に行われた『〜グランドフィナーレ〜MEMORIAL CONCERT SPECIAL』の最中に、コンサートの中で歌っていないシングル曲があるが、歌うことを封印したことが告げられ、実際に最後まで歌われることは無かった。よって振り付けなどは不明。
1980年に発売されたラジの「偽りの瞳」(作詞: 高橋幸宏・大村憲司、作曲・編曲・プロデュース: 高橋幸宏)と異歌詞同曲で、作詞は糸井重里、編曲とプロデュースは高橋幸宏自身が手がけたテクノ歌謡。

22. OH!(1981年3月5日)
ラスト・シングル。

(wikipedia)